寿宝寺の千手観音像、酬恩庵の一休禅師像
ほんとうに千の手をもつ観音さま
住所
京田辺市三山木塔ノ島20(寿宝寺)
京田辺市薪里ノ内102(酬恩庵)
訪問日
2014年10月5日
この仏像の姿は(外部リンク)
寿宝寺について
寿宝寺(じゅほうじ)は、近鉄・JRの三山木駅下車、県道を東へ徒歩5分。お寺の入口は南側である。
拝観は事前連絡必要。雨天など多湿時は原則拝観不可となる。拝観料は300円
真言宗寺院。古くは山本大寺(やまもとのおおてら)とも呼ばれ、七堂伽藍を備える大寺院だったというが、木津川の氾濫でたびたび移転を余儀なくされ、現在地に移ったのは江戸中期のことという。
近代初期の廃仏の際には近隣の寺院を合併、今は収蔵庫に安置されている本尊の千手観音像もまた近くにあった佐牙(さが)神社の神宮寺の像であったが、廃寺となりこのお寺に迎えられたということだ。
寿宝寺の千手観音像
筆者がまだ学生だった頃、お訪ねしたことがあった。収蔵庫の扉の開け閉めで光の当たり方が変わると像の表情が違って見えることや正面に立った時と拝む位置すなわち斜め下から見上げたときではまた印象が異なることなどを教えていただいた。
今回久々に拝観にうかがったところ、収蔵庫には扉口の方に白熱灯、上には蛍光灯が備えられ、ライトを操作して、かつてと同じようにライトの当たり方で像の印象が異なることをお話くださった。
本像は像高約180センチ、カヤと思われる材を使って前面を彫出し、背面は別材を当てる寄木造で、素地をあらわす。
顔つきがやや力強く厳粛に見えるのは、四角張った下あごや、釣り上がり気味の目による印象であると思われる。しかしそれは前方から光が当たっているときのもので、それが上方からの優しい光に変わると、伏し目がちになり、ぐっと優美でやさしい表情に変わる。
光の変化によってあまりに鮮やかに印象が転換することに改めて感動を覚えた。
本像の特色としては、実際に千の手をあらわす千手観音像であることがあげられる。たくさんの手を板状の材から刻み出し、その中にやや大きな手を混ぜて変化を出している。手は扇のように美しく広がり、とてもバランスがよい。
胸は広くたくましくつくり、下半身は細くすらりとして、しかしこちらもバランスを失することなく、像を優美に見せている。
衣の襞は浅く、全体の感じは平安時代末期頃のものと思われる。
千手観音像に向かって右側には金剛夜叉明王像が安置されている(左側は対になる降三世明王像の安置場所だが、京都国立博物館に寄託されているとのことだった)。平安時代後期の作で、本尊と同じ旧佐牙神社神宮寺旧仏という。
酬恩庵について
酬恩庵(しゅうおんあん)の最寄り駅は、寿宝寺のある三山木駅から近鉄京都線で京都方面に2駅行った新田辺駅。駅前のバスロータリー(「近鉄新田辺」)より京阪バスクレイン京都行きに乗車し、「一休寺」下車、西に徒歩3分。駅前にはタクシーも常駐。
徒歩でも行けない距離ではない(25分くらい)。JRの京田辺駅(片町線)からならば20分くらいである。
一休寺とも呼ばれるように、一休禅師ゆかりの寺である。
寺名の「酬恩」は師の恩に報いるという意味。もと鎌倉時代に臨済宗の高僧である大応国師がここに妙勝寺を建てたのだが、それが戦乱もあって荒廃していたのを、孫弟子の一休が再興した。
寺の北側に建つ総門から入る。拝観入口があるので、拝観料(一般500円)を払い、奥へと進むと、右手に庫裏・方丈への入口がある。
一休像について
方丈の中央に一休禅師の像がまつられている。亡くなる直前に弟子たちによってつくられた寿像であるという。
今は失われているが、本人のひげや頭髪を移植したと伝え、一休の面影を伝えるために最大限の努力が払われている。まさに室町時代を代表する肖像彫刻である。
老いてもなお厳しい表情で背筋を伸ばし、その人柄がよく出ている名像である。
まつられている場所がかなり奥まっていて、拝観は方丈の縁からなので、距離がある。一眼鏡のようなものがあるとよい。
像にはライトがあてられているが、見えるのは上半身のみ。
さらに知りたい時は…
『京都南山城の仏たち』、京都南山城古寺の会編、東京美術、2014年
『南山城の古寺巡礼』(展覧会図録)、京都国立博物館ほか、2014年
『京田辺市の仏像 京田辺市美術工芸品調査報告書』、京田辺市教育委員会、2007年