宝積寺の閻魔像、冥府役人像
鎌倉彫刻の迫力
住所
大山崎町大山崎銭原1
訪問日
2010年1月31日、 2019年8月18日
拝観までの道
宝積寺(ほうしゃくじ)は、東海道線の山崎駅または阪急京都本線の大山崎駅で下車、北へ徒歩約10分。
豊臣秀吉が明智光秀を破った山崎の合戦の舞台として有名な天王山の中腹にあり、お寺からハイキングコースが続いている。
拝観料
400円(本堂と閻魔堂)
お寺のいわれ
宝積寺の十一面観音像の項をご覧ください。
冥府群像について
本堂に向って右手にある閻魔堂は収蔵庫を兼ねた耐火建築の建物で、ここに閻魔像を中心に冥府の役人4尊像が安置されている。鎌倉時代の迫力ある作風の像で、近代初期に近くの廃絶した寺院から移されてきたもの。
閻魔王像は像高約160センチの坐像で、怒りの表現がすばらしい。肩幅と広くとり、大きな冠を頭に載せて、実に堂々としている。前にせり出す額や左右に垂らした袖の襞(ひだ)の凹凸の表現などは誇張的で、小気味よく感じられるほどである。
冥官は110から120センチほどの像で、それぞれに筆、巻物を持つ。像名は、司録、司命、倶生神、暗黒童子と伝えられる。伝司録・司命像は筆と冊子を持ち、閻魔像より一回り小さく造られている。もともとは十王のうちの二像であったのかもしれない。
伝倶生神・暗黒童子像は、本来司録・司命として造られた像と思われる。司録・司命は冥府の書記官で、一般に司録は筆を持って書き留める姿、司命は巻物を広げて読み上げる様子であらわされるが、伝倶生神像・暗黒童子像の姿はそれと一致している。
巻物を見る伝倶生神像は厳しい表情が印象的な像。伝暗黒童子像は右足を踏み踏み下げ、右手で筆を持ち、左腕を大きく伸ばして板を支え、目線はその方へと向く。バランスのよくとれた体勢の中に、ユームラスな表情やしぐさがある。
全体として劇画の中の一場面のようでもあるが、卑俗に墮することなく、迫力を見せている。
結界があってすぐ前までは寄れないが、照明もあり、よく拝観できる。
仁王像について
仁王門の金剛力士像は、280センチ前後の像高を誇る鎌倉時代の力強い像。迫力と安定感がともにあるすぐれた仁王像である。
目は飛び出さんばかりで、腹のこぶのような筋肉が、こめた力によってか、吹きすさぶ風のためにか、震えるように表現されている。阿形像の腰の衣は大きく渦巻くようにつくられる。
門の中に安置される像は、多くの場合金網がかけらえていてよく見えないということが多いが、この像では網がなく、たいへん拝観しやすい。
さらに知りたい時は…
『閻魔・十王像』(『日本の美術』313)、中野照男、1992年6月
『大山崎町史 本文編』、大山崎町史編纂委員会、1983年