多禰寺の仁王像
鎌倉時代の名品
住所
舞鶴市多祢寺346
訪問日
2018年4月7日
拝観までの道
多禰寺(たねじ)は舞鶴市街の北方、大浦半島の多祢寺山の山腹にある。
東舞鶴駅前から京都交通バス三浜線(小橋車庫行き)に乗車し、「舞鶴自然文化園」で下車。ただし、バスの本数は少ない。乗車時間は約30分。下車後徒歩約25分。
下車後、バスの進行方向を見ると、多禰寺への看板が出ているので、指示に従って左折。自然文化園を眼下に見ながら西南方向へと進む。10分くらい歩いたところで南に舞鶴湾を望める場所に出る。そこまではきびしい上り坂で、ここからやや楽になる。さらに10分ほど歩くと、「多禰寺200メートル」の看板が現れる。その間特に目印になるようなものはないが、一本道で迷うことはない。
宝物殿(仁王殿)の拝観は境内の寺務所にお願いする。事前連絡が望ましい。
拝観料
500円
お寺や仏像のいわれなど
多禰寺は真言宗寺院。西国薬師30番の霊場で、萩の寺としても知られている。
本尊の薬師如来像は鎌倉時代の作で、秘仏。
江戸時代につくられた縁起によれば、お寺をつくったのは聖徳太子の異母弟である麻呂子王(親王)という。麻呂子王は別名を当麻皇子ともいい、当麻寺の創建もこの王であると伝え、また丹後に住む鬼を退治したといった伝説がある。
それ以外には本寺をめぐる歴史は模糊としているが、平安時代以後各時代の古仏が残されており、中世以後この地を支配した一色氏、細川氏、京極氏、牧野氏の安堵状、寄進状が伝わっていることから、領主からの尊崇が厚かったとわかる。
仁王像は本来山門安置。像高はおよそ3メートル半の実に堂々たる鎌倉時代の像。近世のどぎつい色で覆われていたものが、修復し、それを機会に宝物殿を設けてそこに安置することとしたようだ。
門に長く立っていたにもかかわらず、保存の状態はよい。
拝観の環境
庫内、近くよりよく拝観させていただけた。
仏像の印象
仁王像は大変均整がとれた像で、誇張がすくなく、怒りの中にも上品さのあるすぐれた像である。
腰をつよくひねって体をくの字に曲げているが、向かって右の阿形像は腰を左(向かって右)に、吽形像はその逆にひねって、一対としてのバランスがよくとれている。胸と腹の間に逆Vの字に筋肉が盛り上がるが、腹の筋肉はそれ以外にごつごつと瘤のようにあらわすような誇張はしない。肩の筋は盛り上がって、力強さを強調する。
腰は細くし、下半身も太めにすることなく、下半身の衣もそれほど長くせず、不自然に風にたなびいたりはしない。しかし、股間の衣は前からの風を受け、ぐっとくぼんであらわしている。
内側に向ける頭部は奥行きをしっかりととる。額、眉、鼻、ほお骨、顎を前へと突き出して、忿怒の表情を作り出している。
普賢菩薩像について
多禰寺の宝物殿には、仁王像のほかにも数躰の仏像が安置されている。ことに印象深く思えるのが普賢菩薩像である。
像高は約30センチ。合掌し、蓮華座に乗り、それを象が支える。総高としては約80センチ。平安後期の様式の仏像である。
顔は面長で、やや四角張るが、表情はやさしく、穏やか。まげは低く、美しく結い上げる。顔や胸の凹凸は控えめで、脚部をくるむ衣は浅く刻まれる。脚部の張りは大きく、安定感がある。また蓮華座も花びらも薄くつくられ、それが大きく開いているさまは優美で、支える象の立ち姿はかわいらしい。
その他
最寄りのバス停の名前になっている舞鶴自然文化園は、農園の跡地を市が取得し整備したもの。ことに椿とアジサイが有名で、その時期は有料(大人300円)だが、それ以外の時期は無料。筆者が行った日は椿が競い合うように花をつけ、カフェも営業もあった。
さらに知りたい時は…
『未来への贈りもの 中国泰山石経と浄土教美術』(展覧会図録)、九州国立博物館ほか、2007年
『若狭・丹後の仏像』(『日本の美術』223)、鷲塚泰光、至文堂、1984年
『解説版 新指定重要文化財3、彫刻』、毎日新聞社、1981年