勝龍寺の秘仏3像
年2回ご開扉
住所
長岡京市勝竜寺19-25
訪問日
2019年8月18日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
JR長岡京駅から南に徒歩10分
JR長岡京駅東口を出て、南へ向かう道路は「ガラシャ通り」という名称を持つ。南へ10分ほどのところにある勝竜寺城公園はかつて細川藤孝の居城で、その子忠興と明智光秀の娘玉(ガラシャ)が結婚式をあげた場所ということで、それにちなんで通りの名前となったものである。
秋(11月第2日曜日)には長岡京がラシャ祭りが行われ、玉の輿入れをテーマにした賑やかなパレードも行われている。
勝竜寺城の名前は、その南側にある古刹、勝龍寺からとっている。
本堂須弥壇上の中央の厨子が開かれ、拝観できるのは年2回、8月18日(観音大祭)と11月のガラシャ祭の日である。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれなど
勝龍寺は空海開創と伝える真言宗寺院である。
今は小さな境内にこじんまりした本堂があるお寺であるが、かつては99の堂坊が立並ぶほどであったという。
厨子内3躰の像は、中央が小振りな十一面観音像で、普段は京都国立博物館寄託だが、この年2度の開帳の際にはお寺に戻ってくる。向かって左側は像高1メートル弱の菩薩立像(聖観音像)。そして右側が十一面観音像で、ともに鎌倉時代の作。
脇の2像は厨子の大きさに合わせてなのか、正面向きでなく、中央を向いて置かれているのが面白い。
拝観の環境
堂内、すぐ近くで拝観させていただけた。
仏像の印象
本尊の十一面観音像は、像高約40センチの立像。
材はサクラといい、台座を含めてそのほとんどを一材から彫り出している。ほぼ素地であるが、全体に赤系の彩色を薄く施しているのかもしれない。また、頭や眉などには彩色があったようだ。彫りは大変に緻密で、檀像様の仏像ということができる。
頭部は小さく、目・眉を接近させ、その分、額や頬が広くなって、やや独特の面貌の表情となっている。
落ち着いた静かな立ち姿で、上品で端整な作風である。やや右足を前に、腰をわずかに左にひねっている。上半身は共木から彫り出した棟飾りを着けるが、あまり派手にはしない。しかし下半身の衣はなかなか細かな彫技を見せ、ひだは鋭い山というよりは粘っこい波のようである。
頭上面の大半を失っているが、それ以外は保存状態もたいへんよい。
厨子内の他の2像について
向かって左の菩薩立像は割矧ぎ造で、玉眼を入れている。
若々しく力強い顔立ちとしっかりと大きい体躯が大変魅力的な像である。
目、眉、鼻がそれぞれくっきりとして、ほおも豊か。口元も力強く引き締まる。目の見開きは強いが、涼やかである。
まげが高く・太く、大きな冠の上に見えている。
上半身はやわらかな肉付きが見てとれ、下半身はすっきりとしたひだの流れがリズムを生んでいる。さらに、腰布が全体を引き締めている。
両手とも曲げて体の前に出し、右手は胸のあたりで宝珠をささげ、左手はその下でてのひらを上に向けるが、この姿は珍しい(2臂の如意輪観音としてつくられたものか?)。
本像は特に銘文等なく、作者などはわかっていないが、2017年の奈良国立博物館の快慶展に出品されたり、雑誌『目の眼』の連載にも取り上げられたりして、注目されている。
向かって右側の十一面観音像はやや生硬な印象もあるが、なかなか魅力的な像である。細面、目は比較的見開きが大きく、眉は高々とはあげない。鼻筋がよく通る。衣は深く、力強く彫るということはないが、美しい流れを見せている。
像高は約1メートル、割矧ぎ造。
その他
厨子の脇に立つ二天像も鎌倉時代の仏像である。像高は約140センチ、寄木造、玉眼。
さらに知りたい時は…
「ほっとない仏たち43 勝龍寺の菩薩立像」(『目の眼』514)青木淳、2019年7月
『快慶』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2017年
『長岡京市の寺社(長岡京市史資料集成2)』、長岡京市教育委員会、2000年
『長岡京市史 建築・美術篇』、長岡京市史編さん委員会、1994年
『新指定重要文化財 解説版』3、毎日新聞社、1981年
『京都の美術工芸 乙訓・北桑・南丹編』、京都府文化財保護基金、1980年