鹿苑寺不動堂の石不動尊
毎年2回、節分と8月16日に開扉
住所
京都市北区金閣寺町1
訪問日
2018年2月3日
拝観までの道
鹿苑寺(金閣寺)は、京都市営バス「金閣寺道」下車。
不動堂は金閣寺拝観順路の最後の方、境内北東の高台にある。不動堂だけの拝観であれば、拝観出口の方から行くこともできる。
開扉されるのは2月3日の節分と8月16日のみ。法要で入堂できない時間もあるようだが、それ以外の時間帯は堂内で拝観できる。
*金閣寺
拝観料
堂内拝観200円(金閣寺拝観料は400円)
お寺や仏像のいわれなど
室町幕府3代将軍として権勢を誇った足利義満によって金閣がつくられる以前、その場所には、西園寺家の寺、西園寺があった。創建は鎌倉時代前期、藤原公経(西園寺公経)という貴族によってである。
しかし、室町時代に入ると寺は荒廃し、14世紀末、足利義満による北山山荘となった。金閣の前の池は西園寺以来のものであるという。
義満の死後、遺言により北山山荘は鹿苑寺となったが、後継者によってお堂が他寺に移されたり、また火災にあったりして、当初の建物は金閣のみとなり、その金閣も戦後焼亡してしまった。現在の金閣は1955年の再建である。
境内の不動堂(北山不動堂)は桃山時代の再建で、創建時の金閣が失われてしまった今となっては鹿苑寺内でもっとも古い建物である。奥に石不動(いわふどう)尊をまつる石室があり、建物はその礼堂としてつくられたものであるが、創建年代については不詳。
石室は大きな緑色片岩を組み合わせてつくられており、大きな規模ではないがダイナミックなものである。緑色片岩は京都盆地付近では産出しないことから、遠方から運ばせてつくったと考えられるた。
近年、石室北壁から1342年などを指す線刻の文字などが発見され、義満の北山山荘以前のものであることが確認された。
拝観の環境
堂内奥、石室の入口まで進むことができ、よく拝観できる。
仏像の印象
石不動尊は、弘法大師によってつくられたと伝えられるが、実際には中世の作。石室の年代を考えれば、足利義満の北山山荘以前、鎌倉時代の作と考えられる。
像高150センチを越える堂々たる立像で、砂岩でつくられている。
左目だけを細め、左右の牙を上と下に出すいわゆる不動十九観に基づく。髪はたっぷりとしていて、総髪。鼻は大きく、口は大きくへの字に曲げる。迫力のある容貌で、たいへん魅力がある。
両肩はたくましく、両腕は下げながらも肘を張って、力をためているように感じる。
下半身の衣はやや形式化した線に感じる。
その他1
以前は木造の不動明王立像(鎌倉時代)もともに堂内にまつられていたというが、現在は安置されていない。
その他2
金閣一層目は池に面して開かれており、宝冠釈迦如来坐像が安置されているのを遠目に見ることができる。もと境内の廃院の本尊であったといい、旧西園寺の遺品の可能性がある。不動堂内に安置されていたのを、金閣再建にあたって移された。14世紀後半ごろの作。
さらに知りたい時は…
『鹿苑寺と西園寺』、鹿苑寺、思文閣出版、2004年