鞍馬寺の毘沙門天像と聖観音像
霊宝殿の3階に展示
住所
京都市左京区鞍馬本町1074
訪問日
2014年5月4日
この仏像の姿は(外部リンク)
京都観光Navi(毘沙門天像)
拝観までの道
出町柳駅から叡山電鉄叡山本線で約30分、終点の鞍馬駅下車。
駅前に出て、バス停のあるところを左に曲がると、すぐ鞍馬寺の仁王門の前に出る。
ここで入山料を払い、緩やかな石段を上っていくと、まもなく右手にケーブルカーの山門駅がある。ここから多宝塔駅までものの2分の乗車。下車後はほぼ平坦な道(新参道)だが、最後には急な石段が待っている。徒歩10分くらい。
もちろん徒歩でも行けるが、かなり長いつづら折れの坂を上らなければならないので、行きはケーブルカー、帰りは坂道で戻るというのが筆者のお勧めである(ケーブルカーは片道100円)。
鞍馬山の本堂は本殿金堂と呼ばれている。
本堂に向かって左へと進むと奥の院への道がある。そこをしばらく行くと、やがて宝物館(鞍馬山博物館、霊宝殿)に着く。
1階は鞍馬山の自然に関する展示、2階はさまざまな宝物類の展示、3階が仏像彫刻の展示室(仏像奉安室)となっている。
霊宝殿は原則月曜日休館。また冬期(12月12日から2月末日まで)も休館。
拝観料
入山200円+霊宝殿入館200円
お寺や仏像のいわれなど
鞍馬寺は奈良時代後期に鑑真の弟子によって創建されたと伝える。実際には、平安時代初期に造東寺長官をつとめた藤原伊勢人(いせんど)によって開かれたらしい。
伊勢人は藤原南家出身で、武智麻呂の孫にあたる。千手観音を厚く信仰していたが、千手観音と毘沙門天は本来同体であるというお告げに導かれてここに堂宇を建て、両像をまつったという。
毘沙門天は四天王の中の北方の守護神多聞天の別名であり、平安京の北に位置するこの鞍馬寺に安置される仏像としてはまことにふさわしい。
霊宝殿3階の仏像の展示室には、いくつかのタイプの毘沙門天像が安置されていて、拝観できる。
拝観の環境
展示室は照明が調整され、近くより大変よく拝観できる。
毘沙門天像の印象
この展示室には、平安時代の毘沙門天三尊像、兜跋毘沙門天像、中世作(おそらく鎌倉時代)の毘沙門天像3躰などが展示されている。
これら毘沙門天像は、それぞれタイプが異なる。
毘沙門天三尊像は、毘沙門天像を中尊にその妃および子とされる吉祥天像と善膩師童子像が左右にならぶ。
このうち吉祥天像に納入品があり、1127年の作とわかる。しかし吉祥天像のみヒノキの一木造で(毘沙門天、善膩師童子はトチの一木造)であり、また表面の仕上げも吉祥天像は他の像に比べてなめらかで入念であることから、本来は一具でなかったと考えられる。吉祥天像の納入品にもそのように推定が可能な記述がある。
吉祥天像がつくられた前年、すなわち1126年に鞍馬寺は焼亡したという記録があるので、三尊中吉祥天像のみ救い出すことができず、補われてつくられたものが本像と思われ、毘沙門天像と善膩師童子像はそれに先立つ時期の作と考えられる。しかし三尊としてのまとまりは非常によい(吉祥天像と他の2像の違いは単に作者の個性の差であるとして、3尊とも1127年の再興像であるとする説もある)。
中尊の毘沙門天像はどっしりと力強い体つき、わずかに体をくの字に曲げて立つ姿も安定感があり、顔つきは眉をひそめ、目のしかめて、強い印象を与える。
面白いのは手つきで、左手はひたいにかざし、遠くを見るようにしている。いかにも平安京を見下ろし、守っているといった動作であるが、しかしこの左手は後補なので、本来は違った手の形であった可能性もある。後述のように鞍馬寺の毘沙門天像は腰に手をあてる姿の像が多いので、本像もそうであったのかもしれない(宝塔を掲げる形だったのではないかとする説もある)。
吉祥天像は豊かな髪が魅力的な像である。服も女神らしい華やかさだが、装飾過多でなく、上品さが出ている。
善膩師童子像は、くりくりとした目がとてもかわいい。
像高は中尊が170センチ余り、吉祥天像と善膩師童子像は100センチ内外である。
兜跋毘沙門天像だが、本像はこのタイプとしては古い像であるらしい。
兜跋毘沙門天像といえば東寺の宝物館にある中国伝来の像が有名だが、それに比べると腰の鎧の模様など省略もあり、体勢も単純で迫力も減じている。素朴な雰囲気があり、それがまた魅力となっている像である。像高は約170センチ。
東寺の兜跋毘沙門天像はもと平安京の入り口の羅城門上に安置されていたという伝承があり、造東寺長官だった藤原伊勢人もこの像への関心を高くもっていたのではないだろうか。そうしたことから推測して、最初の鞍馬寺の本尊は、この像そのものではなかったにしても、兜跋毘沙門天像であった可能性はあるだろう。
鎌倉時代作の3躰の毘沙門天像は、どれもとてもシャープな印象で、慶派風といえる。
その姿は右手で戟をとり、左手を腰にあてている。宝塔は持たない。この姿の毘沙門天像は霊宝殿2階に展示されている銅の燈籠(鎌倉時代中期)の浮き彫りにもあらわされているし、展示はされていなかったが経塚(鞍馬寺には平安時代後期から鎌倉時代にかけてたくさんの経塚が営まれた)から出土した懸仏の毘沙門天像にもこの姿のものが多いらしい。
いつの時点からどのような理由でこの体勢の像が多くなったのかは定かでないが、長く鞍馬寺の毘沙門天像の規範のようになった姿ということらしい(「鞍馬様」とも呼ばれる)。
聖観音像について
仏像奉安室中、向かって一番右には聖観音像が安置されている。像高約180センチの立像。ヒノキの寄木造、玉眼。
足ほぞの銘から、1226年に肥後別当定慶が造立し、1229年に鞍馬寺に安置した像であることが知られる。
長身、細身の像である。腰はわずかに左にひねる。
まげを高く結い、髪は装飾的にまとめている。顔の輪郭は卵形で、顔つきは端正に整う。まっすぐに前を向き、厳しい視線を向けている。口は小さめでしっかりと引き締まり、あごは小さめ。
右肩をあらわにする。
手は胸の前で蓮華をとる(延暦寺横川中堂本尊の聖観音像と同じ)。
髪の結い方と衣のつくりは極めて装飾的である。裙を2段に折り返し上に腰布を着けて、それがいかにも薄くゆらぎながら重なりあうさまは、ため息がでるほどである。
さらに知りたい時は…
「鞍馬寺毘沙門三尊像再考」(『仏教芸術』6)、岩田茂樹、2021年
『毘沙門天 北方鎮護のカミ』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2020年
『平安密教彫刻論』、津田徹英、中央公論美術出版、2016年
『鞍馬寺』(『新版古寺巡礼 京都』14)、淡交社、2007年
『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』4、中央公論美術出版、2006年
『平安時代彫刻史の研究』、伊東史朗、名古屋大学出版会、2000年
『週刊朝日百科 日本の国宝』13、朝日新聞社、1997年5月
『日本彫刻史研究』、水野敬三郎、中央公論美術出版、1996年
「肥後定慶の菩薩像について」(『仏教芸術』187)、深山孝彰、1989年
『鞍馬山の名宝』、鞍馬山出版部、1986年
『鞍馬寺』(『古寺巡礼 京都』27)、淡交社、1978年
『鎌倉時代の彫刻』(展覧会図録)、東京国立博物館、1976年
『鞍馬山』、中野玄三、中央公論美術出版、1972年
「鞍馬山毘沙門三尊像について」(『Museum』251)、松島健、1972年2月
『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇』2、中央公論美術出版、1967年
「鞍馬寺 新出の毘沙門天立像」(『美術研究』249)、佐藤昭夫、1966年11月