禅林寺(永観堂)の見返り阿弥陀

首を大きく曲げ、振り返った形

住所

京都市左京区永観堂町48

 

 

訪問日 

2019年8月16日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

永観堂禅林寺ホームページ・永観堂のご紹介

 

 

 

拝観までの道

バス停「南禅寺永観堂道」(市バス5系統)より徒歩3分。「東天王町」(市バス100系統など)からも近い。

最寄り駅は京都市営地下鉄東西線の蹴上駅。下車後、北に徒歩約15分。

 

 

拝観料

600円

 

 

お寺や仏像のいわれなど

禅林寺は東山を背に、西に門を構え、広大な敷地に多くの建物が連なる美しいお寺である。

歴史は大変古く、平安時代初期にさかのぼり、空海の弟子の真紹が開いたのがそのはじまりである。

11世紀から12世紀にかけて活躍した永観(ようかん、えいかん)というお坊さんが阿弥陀仏への信仰深く、本尊の「見返り阿弥陀」も永観との関わりが深い像とされる。本寺の別名の永観堂(えいかんどう)もこのお坊さんの名前からきている。

 

鎌倉時代前期に真言宗から浄土宗に転じた。静遍(じょうへん)という方が住持であった時のことである。静遍は頼朝に降伏し命を助けられた平頼盛の子で、すぐれた密教僧であったが、法然の著作を読み、浄土宗に転じたと伝える。何でも法然の『選択本願念仏集』を論駁しようと何度も読み返すうちに、逆に法然の主張が正しいと考えるようになったのだという。

 

本尊は「見返り阿弥陀」として知られる。永観とこの本尊像については、有名な伝承がある。

永観は若くしてこの寺に入り、その後、奈良で修行をした。当時南都では浄土教が隆盛をみており、永観は非常に熱心な浄土教信仰の持ち主となり、日々念仏に励んだ。

後半生に禅林寺に戻り、50歳になったある日のこと、阿弥陀仏とともにお堂をめぐるという大変宗教的な体験をしたのだという。

念仏の行にもさまざまな形があり、その中の1つに本尊の阿弥陀像の回りを巡りながら念仏するというものがある。後世の縁起の記述ながら、1082年の2月のまだ日の明けない時刻に永観が堂をめぐっていると、いつの間にか本尊の阿弥陀仏が壇を下りて永観を先導し、ともに行を行っていた。驚いた永観がしばし立ち尽くすと、阿弥陀は振り返って「遅し」と声をかけたという。

禅林寺の本尊阿弥陀如来像は永観を振り返った姿をとどめているとして、「見返り阿弥陀」とよばれ、信仰を集めている。

 

 

拝観の環境

見返り阿弥陀像を安置する阿弥陀堂(本堂)は、拝観順路の一番奥にある。

このお堂はもともと大阪の四天王寺の曼荼羅堂として16世紀末に建てられたものが、17世紀に入って移築されたのだそうだ。近年大規模な修復工事が行われて、往時の華やかさがよみがえった。

 

堂内正面の厨子内に安置され、ライトもあるが、正面からはやや遠い、厨子の左右の扉も開いており(ただし金網はある)、近くで側面の姿を拝することができる。

特に向かって右側からはお顔をよく拝むことができる。

 

 

仏像の印象

像高は80センチ弱。3尺阿弥陀像の範疇に入るが、やや小さめである。寄木造。

平安時代末期から鎌倉時代前期ごろの作と考えられる。

 

X線でこの像を撮影した写真によると白毫の奥に空洞があり、何かを納入するものであった可能性が高い。『拾遺往生伝』(12世紀前半の成立)巻下の永観に関する記述によれば、仏舎利2粒が祈願によって4粒に増えるという奇瑞があり、そのうちの2粒を本尊の阿弥陀如来像の眉間に込めたという。見返り阿弥陀像の眉間の空洞は、永観が仏舎利を納入した痕跡なのであろうか。しかし、本像は永観よりもあとの時期の造立と思われる。記録にある当初の本尊は何らかの理由で失われてしまい、現本尊はその後継像としてつくられたために、同じ位置に空洞がつくられているといった推測も成り立つかもしれない。

 

振り返る姿というのはとにかく珍しいが、そのつくりにも特徴がある。

左右2材の比較的大きな材木からゆったりとした木取りをしているが、首ではなく、胸の肉身部と着衣の境で割り矧いでおり、下肢では袈裟と裙の境で割り矧いでいる。肉身部を衣と分ける発想は、生身の仏像という意識に連なるものと思われる。

 

さて、本像の姿であるが、来迎印を結び、ほぼ直立しつつ、頭部を90度左に曲げている。この姿から「見返り阿弥陀」として親しまれ、また厚く信仰されている。

よく見ていくと、頭を曲げるのにともなって左肩も若干下げながら後方へ引いているのがわかる。光背があるために振り返ろうとするその体勢はやや窮屈に感じないでもないが、しかしこうした制約にもかかわらず、全体の印象としては優美で伸びやかに感じられる。

頭はやや下に傾けて、やさしいまなざしを投げかけているようだ。体そのものはほぼ直立だが、左足は若干踏み出しているようでもある。

 

頭部は小さめで、鼻や口はかなり小さくつくる。一見するとわからないくらいだが、正面側となる右のほおは、光背の側となる左のほおよりも広く取り、また目の長さや高さも左右対称とせずに、変化を加えている。細心の心配りで造られた像であるとわかる。

衣の流れは流暢で、体躯は伸びやかであり、やわらかな感じがする。

 

 

その他

こうした振り返りの姿は、来迎した阿弥陀仏が救う魂とともに極楽へ戻ろうとする様子をあらわしたものと思われる。

富山・安居寺にも見返る姿の阿弥陀仏が伝来している。

 

 

さらに知りたい時は…

『平安時代彫刻史の研究』、伊東史朗、名古屋大学出版会、2000年

『月刊文化財』429、1999年6月

『古寺巡礼京都23 禅林寺』、淡交社、1978年

 

 

仏像探訪記/京都市