正法寺・勝持寺・願徳寺の諸仏
京都西山の里の仏さま
住所
京都市西京区大原野南春日町1102(正法寺)
京都市西京区大原野南春日町1194(勝持寺)
京都市西京区大原野南春日町1223(願徳寺)
訪問日
2014年10月4日
この仏像の姿は(外部リンク)
正法寺ホームページ(正法寺のほとけさま)
拝観までの道
京都西山の正法寺、勝持寺、宝菩提院願徳寺の順で巡拝する。
まず正法寺(しょうぼうじ)へは、阪急東向日駅・JR向日町駅より阪急バス63、65系統、または阪急桂駅西口より市バス臨西2番にて「南春日町」下車。
『大原野道」という名前の道を西へ10分くらい行くと右手に大原野神社、左側に極楽橋という小さな赤い橋がある。この橋を渡ると正法寺である。
正法寺の千手観音像
大きな石が配された庭のある寺院である。
真言宗の寺院で、もと大原寺といい、寺伝では鑑真の高弟が開き、最澄が寺院とし、空海もここを訪れたという。
応仁の乱で焼け、江戸時代前期に再興された。
本尊の千手観音像は、もと丹波の九品寺の本尊であった像である。
像高約180センチ余。寄木造の像で、鎌倉時代の作。
本面の横に大きく脇面をつけている。三面ともに玉眼が入る。
こうした「三面千手」の例としては、福井・妙楽寺の本尊や和歌山・補陀洛山寺の本尊などが知られる。
生き生きと張りのある顔だち、太めの体躯をもつが、その立ち姿はバランスに富んでいる。ほぼ等身の大きさだが、堂々として大きく感じる。まげも高く、そのまわりには頂上面が仏頂面を除いて3段に配され、それがまた像にスケール感を与えているようだ。
本堂の奥のスペースに安置され、正面からはやや距離があるが、左右の斜めから近づいてよく拝観できる。
拝観料は300円
勝持寺について
正法寺から大原野道に戻り、西へ200メートルくらい進み、石段を上ったところに勝持寺(しょうじじ)の仁王門がある(仁王像は瑠璃光殿に安置)。さらに坂道を上ること5分くらいで勝持寺の南側に出る。
天台宗寺院で、寺伝では天武天皇の時代に創建され、最澄が堂塔を整備したという。応仁の乱で焼け、その後に再興したのが今の勝持寺だそうだ。
「花の寺」とも呼ばれるが、境内にある西行ゆかりの桜によるとのこと。
伝来の仏像は収蔵庫(瑠璃光殿)に安置されている。
拝観料は400円。
2月は拝観は休み(要予約)となる。
勝持寺瑠璃光殿の仏像
瑠璃光殿には本尊の薬師如来像を中心に脇侍、十二神将、そして仁王像が置かれ、また本尊の前にはその胎内仏という小像の薬師如来像が安置されている。
このお堂の中で小像の薬師如来像のみガラスケースに内にある。
像高はわずか約9センチ。左右の腕を張り気味にし、右足を上にすわる。実に堂々として大像のおもむきがある。光背には7躰の化仏と十二神将像を浮き彫りにする。
ただし、像は小さい上、拝観位置からはやや距離があり、さらに堂内はあまり明るくない。ケース内ということもあり、残念ながら肉眼では細部まではよくわからない。
本尊の薬師如来像は寄木造、玉眼で、鎌倉時代の像である。像高は約85センチの坐像。
美しく整えられた小粒の螺髪、現実的で明るさを感じる面相、幅広くとった上半身、左右によく張るが高さはそれほどでない脚部。全体にバランスはたいへんよい。
この像の特色は、印相である。両手とも親指と中指で丸をつくり、左手は下に、右手はその上に持ってきて、何かをつまみ上げるような形である。これは智吉祥印という印相であるらしい。大変珍しく、どのような信仰に基づいて造像されたものか、気になるところである。
仁王像は、鎌倉後期の1285年の銘を持ち、作者は慶秀、湛幸(湛康)とある。彼らは湛慶後の運慶流を代表する仏師である。
像高は約3メートルで、ヒノキの寄木造。目は玉眼とせず、黒石をはめこんでいる。
阿形は腰にひねりを加え、吽形はひねりはややおさえるが、しっかりとくの字に体を曲げている。あごのまわりのでこぼこした肉付きなどたくましい。正面から目を合わせるようにして見上げると、さすがに迫力がある。
しかし、やや引いて全体を見ると、平面的で大人しい印象である。胴はしっかりと絞って、細い。
宝菩提院願徳寺について
勝持寺のすぐ東隣にある。入口は東側。
拝観料は400円。勝持寺と同じく2月は拝観は休み(要予約)となる。
天台宗寺院で、本来宝菩提院は願徳寺の一院の名前であったという。願徳寺はもとは現在の向日市内、すなわち長岡京内にあり、かつては隆盛を誇ったというが、応仁の乱などのために衰退。ことに戦後の時代に荒廃が進み、本尊は隣の勝持寺に預けられていた。1996年になって、復興がなり、本尊が戻ってきたそうだ。
本尊の菩薩半跏像は、寺では如意輪観音像と称している。
願徳寺が長岡京にあった時代以来の本尊であるとするならば、8世紀末、唐の新たな図様に基づいてつくられた像である可能性がある。
耐火つくりの本堂に安置される。
本尊厨子の左右には鎌倉時代の聖徳太子二歳像(南無仏太子像)と平安時代の薬師如来立像が安置されている。
聖徳太子像は納入品から、一遍の弟が一遍等の菩提を弔うためにつくらせたものと知られ、鎌倉時代も末期に近づいた1290年頃の作である。
菩薩半跏像の印象
奈良時代末〜平安時代初期を代表する木彫像である。
像高は約90センチ。カヤと思われる針葉樹の一木造。内ぐりもない古様なつくりである。右足を踏み下げる。左足は前にはずす遊戯坐である。
顔は額を広く、目と眉は接近する。眉から角度をつけた段とし、上まぶたのふくらみをつくり、目を二重とする。ひとみは黒い石であらわし、細めの目はなかなか鋭い感じがする。口もとをしっかりと引き締め、あごをしっかりとつくる。正面をしっかりと見据えて、若々しさの中に厳しさが感じられる。
まげの結い方や髪のラインも美しい。
上半身は高く、胴はくびれて、脚部は左右に張って安定感を出す。
下半身の衣の流れは自由闊達で、引きつけられる。裙の襞に天衣のうねりが加わり、襞の生み出す交響曲といったおもむきである。
さて、願徳寺からの帰り道だが、お寺の門を出て北東へ、まもなく府道141号に入る。このあたり、下を有料道路が通る高台で、そこから東に坂を下り、洛西(らくさい)高校を目指す。その北東に「洛西高校前」のバス停がある。ここまで寺から2キロ弱、25分くらい。このバス停からはJR桂川駅、向日町駅、阪急の洛西口駅などへのバスが出ている。
さらに知りたい時は…
「勝持寺薬師如来檀像について」下(『博物館学年報』47)、井上一稔、2016年
「勝持寺薬師如来檀像について」上(『文化学年報』65)、井上一稔、2016年
「京都大原野・勝持寺本尊薬師如来坐像考」(『仏教芸術』331)、井上一稔、2013年11月
『続古佛』、井上正、法蔵館、2012年
『週刊朝日百科 国宝の美』13、朝日新聞出版、2009年5月
『仏像』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2006年
「千手観音像 九品寺」(『国華』1001)、清水眞澄、1977年6月
『仏像のみかた<技法と表現>』(新版)、倉田文作、第一法規出版、1969年