勝林院の阿弥陀如来像

「証拠の阿弥陀」

住所

京都市左京区大原勝林院町187

 

 

訪問日 

2018年8月13日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

大原実光院・勝林院

 

 

拝観までの道

京都バス「大原」下車、徒歩約10分。

三千院の北すぐ。律川を渡り、突き当たりにある。

 

 

拝観料

300円

 

 

お寺や仏像のいわれなど

天台宗の寂源が11世紀前半、天台宗の声明念仏の根本道場として開いた。

本尊の阿弥陀如来像は康尚によってつくられ、その子の定朝によって「改造」されたと伝えられる。

このお寺は高名な僧が教義について議論を深めた「大原問答」で知られるが、1020年、1186年のいずれの問答でも本尊が論議の正しさを示す奇瑞を示したといい、このために「証拠の阿弥陀」として尊ばれてきた。

その後、本尊はたびたび修理が加えられながらも伝来してきたが、江戸時代中期(1736年)の本堂火災で焼失し、翌年再興された

 

 

拝観の環境

堂内でよく拝観できる。

 

 

仏像の印象

像高は約280センチ。髪際まででは約235センチ。定印の丈六阿弥陀坐像である。

ヒノキの寄木造で、玉眼を入れている。肉身部は金泥塗り、着衣部は漆箔。

強い存在感を表す像で、クセのある顔立ちが特徴的である。

肉髻はあまり高くせず、螺髪はいかにも取ってつけたようである。眼は細く、釣り上がっており、耳は異様なカーブを描いて、とても大きい。また顔は体部に対して大きすぎるようにも感じる。

一方体部の作風は穏やかで、際立った特徴は感じられない。

 

木の組み方も頭部と体部では異なっているそうで、これらのことから頭部については江戸中期の火災以前のものが救出されて、再び用いられていると推測できる。ただし、康尚や定朝の造った像まではさかのぼりえず、1492年の修理のときのものと考えることができる。頭部のみとはいえ、年代が推定できる室町時代の貴重な作例といえる。

 

 

さらに知りたい時は…

「大原の里と勝林院」(『京都を学ぶ 洛北編 文化資源を発掘する』、ナカニシヤ出版、2016年)、鈴木久男

「勝林院阿弥陀如来像(証拠阿弥陀)に関する基礎的資料」(『仏教芸術』330)、伊東史朗、2013年9月

 

 

仏像探訪記/京都市