唐招提寺西方院の阿弥陀如来像

  唐招提寺奥の院の本尊

住所

奈良市五条2-9-6

 

 

訪問日 

2010年1月16日

 

 

 

拝観までの道

西方(さいほう)院は奈良を代表するお寺のひとつ唐招提寺の子院であり、唐招提寺奥の院とも呼ばれる。

近鉄橿原線の西ノ京駅で下車、東側に出て、線路と平行している道を北へ5〜10分進むと、唐招提寺に突き当たる。そこで左折し、近鉄の線路を渡ってしばらく行くと右側に西方院がある。駅から徒歩10分くらい。

ひとつ北側の尼ケ辻駅からも徒歩15分くらい。

拝観には事前予約が必要。

 

 

拝観料

300円

 

 

お寺や仏像のいわれ

西方院は、かつては唐招提寺の境内の中にあって一番西に位置していたが、近鉄線の開通によって分断されてしまったこともあり、一般にはあまり知られていないようだ。

しかし、鎌倉時代中期(13世紀半ば)創建、本尊は鎌倉前期、快慶作の阿弥陀如来像という名刹である。境内には唐招提寺中興第2世の証玄の墓である五輪塔がある。

本尊の阿弥陀如来像は、江戸時代と近代の2度盗難にあっているという。そのために脇侍、光背、台座は失われている。またお寺が無住となっていた時期もあり、唐招提寺のお堂に保管されたり、東京国立博物館に寄託されたりもしていたそうだ。

収蔵庫を兼ねた小ぶりの本堂が1980年代に落成し、今はその中央厨子中に安置されている。

 

 

拝観の環境

外の光が入って、よく拝観できる。

 

 

仏像の印象

像高は約1メートル。ヒノキの割矧(わりは)ぎ造。玉眼。

来迎印を結ぶ。快慶の得意とする3尺の阿弥陀立像である。

顔は金箔が落ち、その下の漆がまだらに見えて、なかなか印象がつかみにくいが、しばらく見ていると、頬をよく張った明快な表情であることがわかる。

なで肩。お腹を前に出し、衣の襞(ひだ)を重ねて強調する。一方下半身は縦のラインを強調してすっきりとした感じに仕上げるが、よく見ると襞は意外に深く、細部まで入念の作とわかる。細身で姿勢よく、ほぼ直立するが、片足をわずかに前に出す。

腕から下がる衣は極めて薄く、キレよく仕上がっている。

全体に安定感のある落ち着いた像で、写実に基づいた合理性と華やかな装飾性がよく同居している。

 

 

快慶の3尺阿弥陀如来像をめぐって

快慶は運慶の兄弟弟子で、運慶と同年代とするならば12世紀半ばの生まれである。

彼は古代、中世の仏師中、最も作品を多く残している作家である。3尺の阿弥陀像のように小さめの像が多く、災害時でも持ち出しやすかったのだろう。また仏像に銘を残すことから、調査によって快慶作と確定できる作品が多いということもある。

当時の仏師には、法橋(ほっきょう)、法眼(ほうげん)、法印といった高い位が与えられることがあったが、運慶と違って傍流仏師であったゆえに、快慶が法橋となったのは晩年にさしかかろうとする1203年になってのことであった。それ以前(無位時代)には「巧匠アン阿弥陀仏」といった銘記で、以後「法橋快慶」さらに位が進むと「法眼快慶」という銘に変わる。

 

この西方院像は足のほぞに「巧匠法眼快慶」と署名されている。快慶が法眼に叙せられるのは1208年と1210年の間であり、死去するのは1227年以前とわかっているので、この像はその間の作ということになる。

快慶が多く造った3尺の阿弥陀如来立像だが、基本的には早い段階で完成形に達してしまい、晩年の作に至るまでその姿は大きくは変わらない。しかし、よく見ると、早い時期の像のほうが衣文がすっきりとまとめられ、のちになると衣の胸元での扱いが若干複雑となる。

この西方院像は、胸元の着衣が1211年の岡山・東寿院に伝わる快慶作阿弥陀如来像に近く、快慶晩年の比較的早い時期の作であろうとする見解がある。

 

 

「適合位置」という考え方

仏像を拝観する際、こちらが立っているのと、座っているのでは、仏像の印象が大きく変わることがある。角度によって見え方が変わるからこそ仏像という立体の造形は魅力があるともいえるが、あえて言えば、礼拝の対象である仏像は低い位置から見上げられるのが本来なのだろうと思う。仏師はこのことを心得て、低い位置から仰いだ時に神々しく見える姿を目指して制作をしたであろうことは想像するに難くない。

 

ことに来迎印の阿弥陀仏は、その印が示す通り極楽浄土への迎えの姿であり、人は仏像より低い位置で、かつ数メートル下がったところから仰ぎ見る、そこが「適合位置」であると村田真宏氏は書いている。この位置から西方院の阿弥陀如来像を見上げると、軽快に浮動するようにして接近してくるように感じる、そう感じさせるような優れた姿として仕上げられているのだという。

無位時代には指で押すと弾力があるのでないかと思えるほどの肉体の表現をつくりだしていた快慶だが、やがて写実も越え、肉体の重みを感じさせないほどの宗教性を備えた仏像を生み出していく、それがこの西方院の阿弥陀如来像なのである。

 

 

さらに知りたい時は…

『快慶』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2017年

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇4』、中央公論美術出版、2006年

『奈良六大寺大観 唐招提寺2(補訂版)』、岩波書店、2001年

「西方院阿弥陀如来立像」、水野敬三郎(『日本彫刻史研究』、中央公論美術出版、1996年)

「快慶における来迎の造形とその展開」(『福島県立美術館研究紀要』2)、村田真宏、1987年

 

 

仏像探訪記/奈良市